読書の秋 2022

もう読書の秋というより、冬になっています。本日パリ地方、朝も昼も夜も気温3度という予報です。

コロナが出てきた当初、海外からの小包なども滞っている、あるいは普通には届かない、というようなウワサがあり、ということは、本を気軽に日本から取り寄せることも当分むずかしくなるのか?と思い、本を読むのを控えていました。習慣とは恐ろしいもので、そのうち本を読まないのが普通になり、コロナ渦中の2年間、本を読んでいませんでした。

それで、日本に帰国した際には本を仕入れてくるのに、今回は何を買っていいかもわからず、自分では買わずじまい。何でもいいから要らない本があったらちょうだい、と私が言うのを覚えてくれていた友人が何冊か持たせてくれたのと、実家にあったもの数冊を持って帰っただけでした。

でもそれらがとても面白くて、またまた読書をする日々がやってきました。

ある夏の日に、近所の大型本屋で「東洋文学」コーナーを見ていると、中国の歴史物語を連想させる絵が表紙になった本が並んでいる。中国のものかと思えば、Jiro Asadaとなっている。浅田次郎さんの翻訳ものを目にしたのははじめて。小さな東洋文学コーナーには、中国、日本、韓国、そしてインドなんかのものまでが詰め込まれている。日本文学の半分ほどは村上春樹が占め、残りは川端、三島や漱石などの純文学に最近のものなど。浅田次郎さんは最近好きな作家なので、読むものがないーと言っていたギーちゃんにこれを買わせることにした。

読みはじめは、登場人物が多すぎる、中国名が覚えられない、誰が誰だかわからない、関係もわからない!と言っていたけれど、しばらくするとものがたりに引き込まれたようで、本に没頭している。私にも同じ本のオリジナル日本語版を買って一緒に読もうというので、買いましたよ。中国の歴史もの〜?とあまり乗り気ではなかったのですが、本が届いて読みはじめたらもう止まらなくなってしまいました。

たしかに登場人物が多い、皇室の家族構成(?)がややこしい、それぞれの名前もややこしい、名前のみならず他のことでも読めない漢字(ルビが中国語読みでふってある)がたくさん出て来るので、読みにくい部分もあるものの、それは物語の壮大さにかき消されてしまいます。そのうち、こんなにも中国の歴史を知らない自分にあきれるとともに、それでもそんなことがあったのだということを今少しでも知ったのはよかったのだ、と思うのでした。よその国の歴史とはいえ、近所の中国、おのずと日本との関わりも多いです。

「蒼穹の昴」 1−4巻 浅田次郎
フランス語訳は、この4巻分が一冊になったこれ。Le Roman de La Cite Interdite『紫禁城の物語』とでも訳しましょうか?もともとは前半と後半の二冊で出版されているものを一冊にまとめたバージョン。

そして、私は次のシリーズへ。残念ながら、ここからはフランス語訳版はまだ出ていません。いつか出版されるのを楽しみにしていますが、これを訳すのは大変だろうなぁと思います。

「中間の虹」1−4巻(アマゾンの小包に4巻が二冊入ってました)
「マンチュリアンリポート」1巻のみ

この辺りから、中国に上陸した日本人の描写も多くなってきます。祖父が勤めていた満鉄のことも出てくるので、遠いむかしの知らない土地のものがたりに、細いながらもつながりを感じ、身近にせまってきます。

先週末に、時代的には「蒼穹の昴」と「中間の虹」の間に読むべき「珍妃の井戸」を読み終え、あのラストエンペラーの時代に突入する「天子蒙塵」を読みはじめたところです。

つまり、ブログが滞っているのは、このせいなんです。

今年もブルターニュの夏休み 近場でサイクリングツアー パート1最終日のディナー

毎日自転車で40kmほどの距離を走りながら別の街に移動する、というサイクリング小旅行、それはそれで楽しいけれど、めんどくさいとも言える。それをおして3日間も自転車で移動できたのは、最終日は美味しいものを食べるというご褒美が待っていたからこそ。そもそもこのサイクリングツアー、このホテルを中心に計画したものでした。

ホテル内のレストランはミシュラン一つ星。この日はこのあたりにしては暑かったのもあってか、Tシャツに半パンなどの人もいて、全く気取っていない雰囲気。給仕の人たちもみんなブルターニュ名物のボーダーシャツ(カットソー?)着用。そういえば、ホテルの受付の人たちもみんなボーダーを着ていました。

ただの一つ星なので、すぐにテーブルに通されて、そこでメニューを決めます。3種類ほどコースがあって、せっかくだからとオマール海老のお皿のある一番いいコースを選択。ワインはペアリングにしてもらうことにする。みんなが一斉にやって来た感じで、全員に手が回らず、なんだかわさわさした感じ。しばらく待って、サービスのお兄さん(サービスの人はみんな若者)が木箱を持ってやって来た。そこには数種類のバターが入っていて、違いを説明してくれたあとで、お好きなのをどうぞというので、全種類いただきました。ホテル付属のパン屋のパンとともに色んなバターを味わいながら待ちます。バターはさすがにどれもこれも美味しくて、最初っからパンを食べすぎると後に差し支えるんだけどなぁ、と思いつつも、食べずにはおられませんでした。

下から、塩バター、アーモンドミルクで作ったバター(もどき)、海藻入りバター(割と流行りで、どこでもやってる感あり)、サリコーン入りバター(ブルターニュなど満干の差が激しい浜に生える草)、ブールノワゼット、焦がしバターを混ぜ込んだバター。

その後、ちまちましたおつまみの代わりに、こんなものが来た。そば粉のガレット(クレープ)の定番、ハムチーズ卵入りをRevisite, リビジテ、変形させたもの。そのまま食べるもよし、器の中で崩してスプーンで食べてもよし、お好きにどうぞとのこと。崩れそうなのを細心の注意を払いながら持ち上げて、パリパリさくっと一瞬で食べました。卵は感じなかったけれど、そば粉の生地にハムにチーズ、それぞれの味がしっかり再現されている。おいし〜い。もうひとつお願いしたいくらい。これでニコニコになって、最初のバタバタで大丈夫?と感じていたのは帳消しになりました。

その後、ブルターニュ産の鱒にオマール海老、ルージェ(ひめじ)。このマスはちょっぴり日本の塩じゃけっぽい。皮っぽいのは、本物の皮ではなく、海藻(訂正ー>海藻ではなくズッキーニを使ってあったもよう)を皮風にしてあった。
オマール海老は、もう火入れが完璧で、火は通っているけれど、通った瞬間で火入れを完全に止めた、というギリギリのところで、オマール海老の本来の味を堪能しました。さすがオマール海老の産地のシェフ。そして、ひめじ。これは小さい魚で、すぐに火が通るので、パサパサになりやすいのだけれど、これも完璧に調理してあった。やはりブルターニュ名物のアーティチョークと合わせてありました。

実はコースには、「本日のお肉料理」としか書いてなくて、なんのお肉かは明記してなかったし、最初の説明でも何なのか言ってくれなかったのですが、この日は実はハト。大嫌いで見るのも嫌なハト。まあ食べるとなると別なんですが、好き好んでは注文しない。まあしょうがない。最近、ハトを扱うシェフが多い。ハトという食材を扱うのには、ある程度の経験と技術が必要らしいので、それをアピールするためか?見かけはイマイチですが、これもまたオマール海老のように、火入れが完璧。生でもない、でも火がちゃんと入っている。ナイフを入れると、血はしたたたらずにさっと切れ、口当たりは柔らかいけれど歯ごたえもある。ジビエほど強烈ではないけれど、鶏肉のように淡白でもない、独特の味がある。ハトは過去に食べたことはあるけれど、印象に残っていない。もう少しソースがあるとさらに良かったけれど、美味しくいただきました。

ようやくデザート。フランボワーズとミント、いやミントのジュレにフランボワーズが添えてあると言った方がいいか。酸っぱくて、甘さは控えめすぎて、さっぱりはするけれど、最後の締めにはちょっと物足りないかな、と思っていたら、2つ目のデザートがやって来た。フランボワーズは口直し的なデザートだったらしい。

最後の締めは、このコースにふさわしいもの。ブルターニュと言えば、塩バターキャラメル。そのデザートクレープをまたしても再構築したもの。形はブルターニュ名物のクレープダンテルというお菓子を真似たもの。見栄えはしないけれど、これがまたもう美味しくて、もう一つ(いや二つ)お願いしたいくらいでした。というわけで、ブルターニュ名物をしっかり前に出して、最初と最後に定番料理を再構築して持ってくる、とってもよく考えらた、楽しいメニューで、大満足でした。

ちなみに、これがクレープダンテル。箱入りで、普通のスーパーで買えます。2個1組で銀紙(金色だけども)に包まれ、カフェなどでたまにコーヒのお供について来たり、アイスクリームにささっていたりします。これをバラバラに壊してチョコレートやプラリネと混ぜてお菓子の一部に使われたりもします。

右の写真は、ホテルに飾ってあった、1961年当時の夜のメニュー。ポタージュ、エビやカニなどの甲殻類をマヨネーズで、舌平目オランデーズソース、羊のもも肉ロースト(海辺で放牧され自然に塩味のするひつじ)インゲン豆煮、デザート、カフェ。時代を感じるラインナップ、今やこんなメニューを出すところは皆無だろう。

去年の二つ星よりもずっと満足した食事だったのですが、減点部分がないわけではなくて、それはワインでした。妙に自信たっぷりの若いソムリエ。ペアリングについて聞いた時、ものすごい種類のワインがあるので、皆さんの好みに合わせますよ、とのことだったので、それなら、コート・デュ・ローヌは避けてね、と言ったにもかかわらず、コート・デュ・ローヌの代表的白ワイン、コンドリューがやって来た。確かに有名なワインで、美味しいのを飲んだこともあるけれど、違うのがよかったわけです。それでも、これは本当に美味しいから、ちょっと飲んでみる?それで嫌だったら別なのに変えますよ、とでも言ってくれれば、味見をしただろうし、気に入ればそのまま受け入れたのだろうけれど、そういう申し出もなかったので、変えてもらったら、村名も地方の名前さえもないワイン(つまり表記はフランスワイン)がやって来た。釣り合い的にどうなの?と、なんとなく損した気分。たぶん私たちのためだけに一本いいワインを開けたくなかったんだろうけれど、その辺、ちょっとサービス精神に欠けているというか「ケチ」って思いました。

今年もブルターニュの夏休み 近場でサイクリングツアー パート1の3日目

今回泊まった部屋のドアを開けるとすぐダイニングで、宿泊客はそこで朝食をとることになっている。すぐドアの向こうにも関わらず、全く気配が聞こえなかったけれど、すでに2組の宿泊客が朝食中。やはり普通の家とは違うつくりにしてあるらしい。どれもこだわりの材料で用意されているのがわかる朝食内容。パンケーキなんかも焼いてくれて、なかなか良かった。そして、荷物をパンパンに詰めてまた自転車に乗ります。

この街、ロスコフを出てさらに西に進んでいくうちに、だんだんいつもの見慣れた景色とは少し違った感じになってきます。大きめの砂浜がある海岸。お天気も上々で、この日はほぼ海岸線を走りました。

この日は、車を置かせてもらったホテルに泊まって、そこのレストランで夕食の予定だったので、お昼は軽いものにしたかったのだけど、気軽でよさげなところは全く見つからず。パン屋さえも見当たらない。結局、海辺のベンチで持参していたアーモンドローストを食べ、どうでもいいようなピザ&クレープ屋で、何も食べずにビールを飲んだだけでした。

誰かが何かを掘っていると、何がとれるんだろうと興味津々。でも、見に行ったところで、貝掘りをするわけにもいかないので、見過ごすことにする。

夕方になるにつれ、さらにいい天気になり、ホテルに着くと、前々日の出発前に見た景色とは似てもにつかず。宿泊前に車を置かせてもらう件でやりとりがあったからか、お部屋をアップグレードしてもらいました。部屋のベランダから見えた景色。

ホテルのプールに行ってすぐに戻ってきて(プールは小さすぎてゆっくりする感じではなかった)、シャツにアイロンかけしたり(アイロンは安物だった)、ぼんやりしているうちにレストランの予約の時間の7時45分。ささっと降りて、楽しみにしていたディナータイムとなりました。つづきは次回。

今年もブルターニュの夏休み 近場でサイクリングツアー パート1の2日目

2日目もあまり期待できそうにない天気予報。せめてザーザー雨でなければいいか、と曇り空の中出発しました。が、たまに青空も見える。たまに太陽も出ている。とりあえず雨はまだ降っていない。暑くもないし、寒くもない。出発して間もなく、海も見えて来た。なかなかいい感じ、でスタートした2日目。この辺りは、ブルターニュの家族が住むコートダルモール県との県境で、海岸線はなんだか似たような感じ。

雨も降っていないし、目的地に急いで行かなくちゃならないわけでもないので、こうした海岸があると、ふらりと立ち寄り、写真を撮ったり、魚釣りに行くおじさん、獲物を抱えて帰ってくる人なんかをぼんやり見る。

8月の中旬をすぎ、ピークは終わっていたけれど、それでも一応まだ夏休み中、子供達のアクティビティなどで少し賑わっていました。バイトにちがいない若い大学生くらいの女の子がちびっこを連れて、水たまりの中にいる生き物を探し中。また、海では小さいウィンドサーフィンがぞろぞろ。

この日、お昼は海辺でムール貝が食べたいと思い、この日の道程を半分くらい行ったところで2件ほどレストランをチェックしていたのですが、お昼少し前に電話しても出ない。まあいいかと現地に到着して見ると、どちらのレストランもお休み。え?いくら平日っていっても、この夏休みの稼ぎどきに休みとは。もうずいぶん前からムール貝が食べたいと言っているんだけれど、どうもありつけないらしい。

気を取り直して、この辺ではまあまあ大きいSaint Paul de Leon(サンポールドレオン)という町に引き返すと、マルシェの日で、それがちょうど終わった時間で中心部はごった返し。なんとかそのぐちゃぐちゃの中をすり抜けて、小さな路地にクレープ屋を発見。すでに1時はすぎていたので、もうあれこれ言ってはいられない。ちょうど外の席が空いたところだったので、すかさず食事ができるかと聞くと、大丈夫とのこと。やったー!というわけで、とりあえずビールを注文、食事のクレープとデザートクレープでお昼にありつけたのでした。

左は私が食べたクレープ。イカスミパスタにイカ、ではありません。この濃い緑のものは、海のインゲン豆というような名前のついた海藻です。でも、海藻っぽい味はそれほどせず、まるでパスタのような食感なので、パスタだと言われれば、そのつもりで食べたかもしれません。これってダイエットにとってもいいのではないかと思いました。右の写真は、その路地の道端でご飯を食べて、さあ目的地に向かって再度出発、というところです。

そして、またずっと海辺を通って、たまにちょっと怖い車道も通りつつ、2日目の目的地、Roscoff(ロスコフ)に着きました。海辺の観光地だけあって、観光客多数。

海辺沿のホテルしようかと思いつつ、これといったところがなく、少し町の中に入ったあたり(と言っても海辺、町の中心から徒歩10分ほど)今年5月にオープンしたばかりのB&B(フランス風にいうと、シャンブルドット、日本風に言うと民宿)を宿泊先に選びました。もともとこの町の町長さんが住んでいたらしいお屋敷を買い取って改装したらしいです。オーナーさん、たぶん30歳そこそこくらいの若いご夫婦でちょっとびっくり。もちろん新しいからきれいだし、使ってある素材なんかも厳選されていてステキではあるのですが、部屋自体が狭くて、それだけが難点でした。ふつうB&Bというと、ホテルより断然部屋が広くてゆったりしているのですけどね。それでも庭付きの大きな一軒家、自転車も車庫に入れてくださって安心でした。

夜は、オーナーさんが予約しておいてくれたお魚中心のレストランへ。遅い時間の予約しかできなくて、それまでの時間が長かったこと。観光地なのでちょっとした商店街があったりはするものの、15分もあれば町の中心をぐるりとできるくらいなので、3周くらいしても1時間も経っていない感じ。どこかで食前酒でも飲んで、と思うも、観光客であふれているか、ちょっと外れたところは閉まっているところも多く、結局行き先が決まらないまま手持ち無沙汰で海沿いをぶらぶら、そしてベンチに座って待つ。この日は暖かくて、夕方から夜にかけて外にいても我慢できるくらいだったけれど、さすがに日が暮れてくると寒い。そのうち、ベンチに座っているのも限界になってきたので、ちょっと早い(予約の40分くらい前)けれどダメモトでレストランへ行ってみると、5分くらい室内で待ってテーブルを用意してもらえました。

食事は悪くはなかったんですが、サービスの若いお兄さんが運び屋にしかすぎず、本日のおすすめの付け合わせの野菜はなに?という質問に、満足に答えられない。本日のおすすめなんて、一番注文の多いお皿で、もう何皿も運んでいったに違いないのに、それ全然見てないのかね?わからないなら他のスタッフに聞いてみればいいのに、その気も全くなしで(まあみんなすごく忙しそうではあったけれど)、適当に答えてごまかそうとする、全然ダメダメでした。それでもギーちゃんが注文した本日のおすすめ。野菜がたっぷりで、これをどう表現するのかがわからなかったのかもしれない。

今年もブルターニュの夏休み 近場でサイクリングツアー パート1の1日目

今年は日本にも帰国したし、夏休みは安上がりモードにしようと、行き先はいつものようにブルターニュの家ということにした。でも、いつもいつもいつもブルターニュって、代わり映えしないので、この夏休みは、ちょっと違うことをしようと、近場で自転車の旅をすることになりました。

かつて、スイスで自転車旅行をして楽しかったので、またそういうのをやろうと言いつつ、そのまま10年ほどが過ぎておりました。スイスでは、専門の旅行会社を通してのツアーで(と言ってもすべて個人で移動)、道程は決まっていて、それに合わせたホテルの予約、旅行中、荷物を次のホテルまで運んでくれるなどのサービスがついたものでしたが、今回はすべて自分たちでやることにしました。

近場ということで、お隣のフィニステール県、ブルターニュの家族の家から、車で1時間ほど西へ行ったあたり。気になっていたひとつ星レストランのあるホテルを中心に3泊4日の旅を計画。毎日の目的地となる町と、そこでの宿泊先は私が決め、細かいサイクリングコースは、ギーちゃんが一生懸命調べて作り、自転車用のナビに入力していました。出発地点は、最終日に宿泊するホテル。宿泊の2日前から駐車場に車を置きっぱなしにさせてもらってもいいかとお願いしたところ、快諾してもらいました。

写真左 ホテルの駐車場で準備中。自転車の荷台には2泊分の荷物がぎゅうぎゅうに入っている。
写真右 高台にあるホテルから本来なら海が望めるはず、がこの日は靄で見えず。

ホテルが経営しているパン屋さんが近くにあり、そこでパンを調達して(これがとても美味しいパン)、11時すぎに出発。ただ、しばらく行ったところで、車に忘れ物をしたというので引き返し、再度出発した時には、12時を知らせる教会の鐘がなっていました。

これが自転車で走ったコース全体図。1日目は、最終目的地であり出発地のPlouiderという町からTauleというところまで。地図では直線になっているけど、もちろん直線ではなく、ぐるぐると小さな道を選んでは進んでいたと思います。

ちなみに、ピンクの星のあたりです。

夏とはいえ、天候の安定しないブルターニュ地方でこういうことをするのは、ちょっぴり賭けだったのですが、予想通り1日目は曇りと雨に見舞われ、ほとんど何も見えない、見る気もしない、見ても畑だらけの道程、お店もカフェも何にもないところばかりを通り、人もほとんど見かけない。お昼も小雨の中、木の陰で持参した残り物と朝買っておいたパンで簡単に済ませるという始末。寄り道する気にも、写真を撮る気にもならず、もくもくと目的地に向かって走ったので、3時くらいには1泊目のホテルのある村に着いてしまいました。そこで、唯一開いていたバー(雑誌やタバコや宝くじなんかを売っているなんでも屋のこと)のテラスで飲んだビールは美味しかった。小雨が降っていても、寒くはなく、風もなく、こうして外のテラスに座っていられるというのはブルターニュにしては上等でした。

フランスブルターニュの田舎の小さな町の典型で、このバーの隣には、町の大きさにそぐわないほどの大きな教会があり、この時は、ちょうどお葬式が行われていました。ビールを飲み終えて、そこからちょっと離れたところにあるその日の宿泊先のホテルに行くと、チェックインは5時だと言われ追い出されました。どうも、ホテルのレストランで午後のお茶的なものが準備されているようで、忙しかったようです。どこかの老人クラブかなんかの集まりでもあるのかと思いきや、同じバーに戻って時間をつぶして、5時になって再びホテルに戻ると、多くの人が集まってお茶中で、それを見てピンと来ました。あれは、例のお葬式の後の集まりだったのでした。所変わればで、テーブルに並んでいたのは、オレンジジュースにコーヒーカップ、クロワッサンにパンオショコラで、まるで子供の午後のおやつ。でもフランスで午後のお茶となれば、こんな風になるしかないんだろうな。私としては、お葬式のイメージとは結びつかないのでした。

そんなことを思いながら、部屋に入りシャワーを浴びてさっぱりした後は、雨でかなり湿っていた服などをドライヤーで乾かしまくりました。強力なドライヤーがあったのはラッキー。その日の夜はホテルのレストランで食べることにしていたので(その頃には、お葬式のお茶会はすっかり跡形もなく片付けられていました)、そのままどこにも出かけることなく、ご飯を食べておやすみなさい、でした。

夏の終わりに ヴェルサイユ宮殿 夜の噴水ショー

ヴェルサイユ宮殿では、日が長く、爽やかな季節になる6月頃から夏の終わり9月初旬まで、宮殿の見学時間終了後、別枠で宮殿の庭を開放しています(もちろん有料)。夜の噴水ショーと称して、バロック音楽が流れる中、庭園内に点在する噴水が動いて(?)いて、それぞれライティングなどがしてあり、それを見てまわりつつ、やっと暗くなる23時ごろからフィナーレの花火があがる、という流れです。いつか行ってみよう、こんなに近くなんだから、と思いつつその機会がなく(その気にならず)数年たった今年、はじめてその機会がめぐってきました。

9月中旬のある金曜日、会社の40週記念のイベントとして、このヴェルサイユ宮殿の庭園での夜の噴水ショーが、貸切で行われたからでした。貸切ってすごい?とは思うけれど、日もかなり短くなり、気温も低く、ヴァカンスもすっかり終わった9月の中旬ともなると、夜にヴェルサイユまでやってくる観光客もそれほどいないに違いなく、料金などもかなり良心的なのだろうと想像します。

この日は、最高気温がどっと下がって日中でも17度くらい、どんよりとした1日。開場が夕方19時半。ここまで寒くなると思っていなかったので、急遽冬の厚手のセーターをひっぱり出して、その上にフリースのジャケットを羽織り、カバンの中には薄手のウィンドブレーカーを入れて出発。歩いて行ける距離だけれど、庭園内でかなり歩くはずだし、終了後はささっと帰りたかったので、自転車で行くことにしました。

貸切の会社のイベントなので、普段はない(と思うけど、行ったことがないので不確か)食べ物、飲み物ブースなどもあり。ただ人が多くて、どこもかしこもごった返し、長蛇の列。この辺はフランス風。遠くまで歩いてより空いているブースをみつけて、なんとか食べ物にありつくという感じでした。こういう場合にも、初めの時間帯には前菜的なものが多く、次にメインっぽいものが出て、最後にデザートが出てくるという、コース料理の流れと同じなので、遅い時間に来た人は、ご飯ものは終わっていて、デザートしか食べ物がなかったとか、何も食べるものがなかった、という人もいたようです。会社のイベントだというと、なにか始まりがあって、終わりがあるような気がするけれど、好きな時間に勝手に来て勝手に帰る、というパターンでした。この日は、社員の配偶者の同伴もOK。もちろん、社員も含めて事前に登録してチケットを発行してもらう必要がありました。

私たちは夜8時ごろに到着して、あちこち食べ物を探して歩き、すると突然つきあたる広場で噴水をながめ、また出会う人たちと話し込んだり、食べたり飲んだりしているうちにあたりはすっかり暗くなり10時すぎ。そこからが長かった。。。夜10時半ともなると気温はさらに下がり寒い。食べ物はもうないし、飲み物は冷たいものしかない。そして花火は11時半からだという。日の長い時期なら、11時過ぎまで待つというのもわかるけれど、この時期だから10時半から花火を始めてくれるとよかったのに。寒くて待ちきれずに帰った人たちもかなりいたようです。私たちも半分帰りたかったけれど、せっかくだからとなんとか持ちこたえ、フィナーレまでいたけれど、私にとっては、寒空の中で見る花火というのは、どうも花火という感じがしない。そして終わった途端に自転車を飛ばして速攻で帰りました。でもイベントはそれで終了ではなく、その後、ある噴水広場がディスコと化し、2時くらいまで開放され、そこで飲んで踊ってをやっていた人たちもかなりいたようです。そんな寒空に何時間もいれるというのはさすがフランス人。

日本滞在、尾道へ、しまなみ海道サイクリングロード

翌日はサイクリング。まずはたっぷりの朝食を。いつも思うけれど、こういうのが外食でお昼(日本なら可能そう)、特に夕食として食べれるといいのに。支度をしてすぐ隣にある貸し自転車場へ急ぐ。10時前だったけれど、もう暑い。

自転車電動アシスト自転車を借りたかったのだけど、一週間くらい前から予約しないと借りられないよ、と言われ、しょうがなく普通の自転車(私はママチャリ、ギーちゃんはロードバイク)を借りた。レンタル自転車場を見渡すと、ほとんどの自転車が出払っていないのではないかと思うほど、大量に自転車があるけれど、よくよく見ると電動アシスト自転車は見当たらないし、ママチャリだって選択肢は多くなかった。大量に残っているのは、大きめのロードバイクばかり。あれは外国人観光客用だったんだろうか?聞いてみればよかった。

それでもなんとか乗れそうな自転車を見つけ、すぐ目の前の船着場から向かいの向島まで渡る。そこからいざ自転車に乗って向島をぐるりとし、因島を通り抜け、瀬戸田のある生口島まで行きました。ほとんどが海沿いの道なので平坦、なのだけど、島と島をつなぐ橋はどうしても高台にあるので、必ず坂道を登っては橋を渡り、それを降りるということになる。登りながら、これが電動アシストだったらなーと何度思ったことか。それでもなんとかいけたのは、自分の電動アシスト自転車に比べると、重量が格段に軽いので、意外と登りやすかったのかもしれない。

5月なかばのこの日、急に気温が上がって最高気温30度ほど、雲ひとつない快晴で、お昼すぎになると相当暑くなってきた。炎天下を走り続け、お昼休憩をしたいけれど、これと言ったところがない。そんな時、大型スーパーがあったので、とりあえずそこに入って涼むことにした。お店にはキレイなトイレもあったので、トイレ休憩も済ませ(さすが日本)、結局ここで食料を買ってどこかで食べることにした。パックのお寿司を買おうと手に取ったものの、製造がなんだかとてつもなく遠いところ(神奈川とか)だったので、やめておいた。他のパックやお刺身のパックを見ても、ことごとく地元のものはなく、海辺の町のスーパーなのに、なんだか残念。

瀬戸田サンセットビーチにて。お腹は空いていたし、こんな景色の中食べるお弁当はなんでも美味しい。影になるところもちゃんとあってよかった。気温は30度を超えているというのに、足を水につけてみたところ、冷たくて、ずっとは入っていられないほど。これじゃブルターニュの夏の水温と変わらない。やはりまだ5月。

前回しまなみ海道をドライブした際に、瀬戸田の観光名所は回ったので、観光は全くせず。これからまた自転車で引き返す元気も時間もなかったので(自転車の返却時刻は6時半くらいだったか)、瀬戸田の中心まで戻り、港から船で尾道まで帰るコースにした。船を待ちながらオシャレなカフェで休憩。ここでも特産レモンを使ったメニュー満載。商店街のポストもレモン色。これは、レモンの産地としての印象を強めてもらおうと、町内の子どもたちがレモン色に塗ったのだそうです。

この船を待っている人のほとんどが私たちと同じようにサイクリングをした人たちで自転車あり。サイクルシップというだけあって、船の一階部分はほぼ自転車置き場になっている。乗船の際に、自転車をきちんと並べる船員の方もいてくれる。ゴールデンウィークも終わった平日の、まだコロナ渦中だったのに、甲板のベンチはこれ以上座るところなし。

出発地点と同じ船着場で下船。すぐに自転車を返却して、近くのお店のテラス席でビール!ホント、帰りは船にして正解でした。あのまま自転車で戻っていたら、疲れているのに加えて、時間に追われて(自転車返却が6時半くらいだった)焦っていたに違いない。自転車が電動アシストではないという誤算はあったものの、なんとかしまなみ街道の一部を自転車で走ることができて(走行距離約25km)よかったよかった。

日本滞在 尾道へ (2022年5月)

日本から戻ってはや4ヶ月。夏になって夏休みも終わって、いまさらですが。。。

コロナで日本入国制限がまだ厳しかった2022年前半、ほぼ無計画での帰国となりました。しかし4年ぶり、4週間弱の滞在、いかにもちょっとどこかに出かけようということで、近場の、私も一度も滞在したことのなかった尾道に行ってみることにしました。

しまなみ街道は、以前、車で尾道ー今治間を往復したことがあるのですが、これを是非自転車で走りたい、という要望があり、それにも応えられる。

それを意識したわけでもなかったのですが、尾道U2という古い海運倉庫を改装した中に作られた、サイクリストにやさしいと謳っているホテルサイクルを予約。どうも自転車ごとチェックインできるらしい。当然私たちは自転車持参ではないので、ここでなくちゃならない理由はなかったけれど、公共の貸し自転車場のすぐ横、サイクリングロードの出発点、向島への渡り場もすぐ。改装した倉庫の中はホテルだけでなく、レストランやカフェもある、尾道駅はすぐそば、繁華街や観光名所も徒歩範囲で、便利はよかったです。

ただ元倉庫、窓は作ってあるけれど、全体的に暗い。部屋は暗かったので写真を撮っていません。寝室自体には窓がなく、光が入るのは、海に面したバスルームの磨りガラス窓(結構大きい)から。バスルームは一面ガラス張りで、寝室へはそこから光が入るしくみ。でも浴室、トイレに行く場合は、ガラス張りに沿ってかかっているカーテンを閉めるので、その時は部屋には光は入らないということで、まあ暗かったわけです。おまけに、時々その浴室の窓から船舶の排気ガスが入ってくる。寝るだけならいいんだけれど、寝るだけだからいいや、という料金設定でもなく(デザインにはこだわってあったから)、その辺がちょっぴり残念な部分でした。

1日目。ホテルの前のテラスで一息。ここはホテルのものではなく、公共のもの。この海に面した通りに、ソファやテーブルとイスなどが並んでいて、色んな人がくつろいでいる。暑くも寒くもない時期だからか、夜になっても誰かしらいて、友人同士で話し込んでいたり、コンビニのお弁当を食べていたり。目を引いたのは、夜9時ごろかな、手作り弁当らしきものを一人で食べているおじさん。夜の仕事の合間だったんだろうか?

高いところから、尾道を一望する。

日本滞在 宮島いつものコース

広島に帰ると必ず宮島に行くことにしています。子供の頃、1年に1度は宮島に遠足に行くというのがふつうだったので、それが身についているのかもしれません。

JRで宮島口まで行き、船乗り場に向かう途中にある、穴子飯で有名な「うえの」で穴子弁当を購入。お弁当は待たずに買えたけれど、11時ちょっと過ぎとはいえ、もう10人くらいの列が出来ていました。ところで、お弁当二つ買って5千円で数百円のお釣り。私の中ではひとつ1600円くらいの気分だったので、ちょっとびっくり。

船着場のすぐそばには、お土産屋さんやレストランが入ったモダンなビルが建っていました。この辺りずっと変化がなかったのに、やはり時代は確実に進んでいるのを感じる。

宮島に着いたら、神社までのんびり歩く。日本人しかいないし、ゴールデンウィーク明けの平日だからか、そもそも人が少ない。たまに修学旅行生の集団がいるくらいで、昔の宮島のよう。宮島のシンボルの鳥居は現在修復工事中。

お参りして反対側に出たら、またのんびり紅葉谷方面に歩く。そして紅葉谷の、鹿があまりいなさそうなところでお弁当タイム。

その後は、前回来た時に初めて行ってお気に入りになった眺めのすばらしいカフェで一息。

今回はデザートにワインのついたセット。この日のデザートはチーズケーキもどき。もちろん瀬戸内の柑橘がアクセントになっています。合わせてあったワインは辛口の甲州。これがなかなかマッチしていて美味しかった。

それから五重の塔と千畳敷を見ながら商店街まで降りて行き、桟橋に戻って船に乗って帰るのが定番なんですが、この日は大潮で、ちょうど干潮。貝掘りしている人がちらほらいて、そうなるとちょっと掘ってみたくなるっていうもの。落ちていたかき殻で掘ってみる。でも貝を見つけたとて、家はすぐそこじゃないし、持って帰るためのバケツや袋もないのですぐにやめましたが、ちょっぴり心残りでした。

また来るねーバイバイ。

日本帰国、休みが終わり羽田からパリへ(2022年5月31日のこと)

5月初旬、フランスから日本に入るのはとってもややこしかったけれど、日本からフランスに戻る際には、コロナ関連で特にすることはありませんでした。JALのチェックインカウンターでワクチン証明を見せて下さいと言われたけれど、それはたぶん彼らのマニュアルがアップデートされていなかったからだろうと思う。フランスはもうワクチン接種していようがいまいが、少なくとも日本から入国する際には規制はありません。

通常の出発時間よりも2時間ほど早い朝8時30分発。雨でなんとなく寂しい羽田国際空港。停泊中の飛行機の数は少ない、そしてJALとANAしか見えない。外国からの観光客を受け入れていないこの時の日本の状況では、外国の航空会社では十分な集客ができないだろうから、キャンセル便が多いのだろう。

羽田からパリへは、往路とは違う航路で北回り。ユーラシア大陸とアメリカ大陸の間、ベーリング海峡を抜け、グリーンランド、アイスランド上空を通って南下しながらパリに到着するコース。飛行時間16時間ということになっていたけれど、機内に入ると「今日は14時間くらいです」と言われた。短いのなら歓迎。たぶん、初試みの航路で経験数が少なく、フライト時間の平均値が出ていなくて、最大時間を表示しているのかな。この便は、行きより少しだけ乗客が多く(といっても、半分には達してなかったのような)、フランスからなら、日本入国後の検査がなくなることになっていたから、出張でフランスに行くような人たちが少々いたようでした。

機内のフライトマップから

そして、本当に14時間のフライトでした。またもや一睡もしなかったけれど、さして長いと感じることなく到着しました。フランスに入ると、いつものやる気ない感じの空港職員。あーフランスに戻ってきたと思う瞬間です。もちろんワクチン証明提示などは求められないし、荷物の検査などハナっからする気はなくて、完全スルーでした。そしてほとんど誰もマスクしてない!いや、空港内はまだ日本人はみんなマスクをしているし、タクシーの運転手さん、一人くらいマスクの人を見たかもしれない。でも一旦空港から出ると、もうマスクなんて完全に過去のハナシになっていて、全員いつでもどこでもマスクの国から来ると、ちょっとびっくりする光景でした。