コルシカ島最終日

またずいぶん間があいてしまいました。実はこれから夏休みで日本へ帰国するのですが、台風の影響で出発が2時間遅れていて、その連絡メールが届いた頃、家を出たので知らぬまま空港へ到着。それでなくてもかなり早めに着くようにしていたので、時間がたっぷりあまっています。

もう3ヶ月も前のはなし、6月1日、コルシカ島最終日でした。

最後の2日は、コルシカ島北部、パトリモニオというワインの産地にほど近い高台にあるシャンブルドット(またはB&B、または民宿)に宿泊していました。自家製のジャムやフルーツジュース、お菓子など、たっぷり心のこもった朝食を素敵なお庭でいただいて、近くの陶芸家やワイン生産者を教えてもらい、荷物をまとめて出発。

前日の夕食は、お魚屋さんがやっているレストランでマグロざんまいメニュー。
下の写真は宿泊していたところのお庭からの風景。

陶芸家さんのところでちょっとしたものを購入し、1時間くらい話しこみ、その後、結構大きなワイン生産者を一件訪ね、白ワインを数種試飲して、2ケース購入。おまけにオリーブオイルも作っていて、試飲したら美味しかったのでそれも1瓶お買い上げ。その後、すぐ近くのSt Florent(サンフロラン)という海辺の観光地でお昼を食べる気にはならず(人のいないところが好き)、10km弱離れた高台にあるレストランに行ってみることにしました。登り登ってぐるぐるぐるぐる。。。いつものごとく山あいは雲が立ち込めてゴロゴロいっている。本当にどこかにたどり着くのか?と思いつつもなんとか到着。若いご夫婦オーナーがやっているレストラン、マダムがシェフ、ムッシューはパティシエで、サービスを担当していました。雨を心配しながら外のテラスで、ちゃんと作った美味しいお料理を食べることができました。直後にざざーっときたけれど、そのぶん気温が下がり、車の中のワインやらあれこれコルシカ島で買いためたものがアツアツにならないのでよかったよかった。遅い昼だったのでもう3時をすぎていて、この日の夕方フェリーに乗るバスチアという港町を目指したのでした。ほどなくバスチアに着き、民宿のマダムに教えてもらった半屋内の駐車場に車をとめ(車が暑くならないですむ)、バスチアの街中で夕食用の食事パンなどを買い、ちょっぴりぐるぐるすると、フェリー乗り場に行くちょうどいい時間になりました。

夕方5時半ごろ、といっても日の長いフランスのこと、午後の一番暑い中、港には影になるところはほぼなく炎天下で待機。車のエンジンは切っているし、ちょっとした植木の影のあるところまで行ったり、車に戻ったりしながら、あつーと言いながら時間をつぶしていました。

そしてフェリーの準備ができて、みんな一斉に車に戻り一列ごとに乗船。

船の看板からは、駐車場の様子がよく見える。もう予定の出発時間はとうに過ぎているけれど、まだ大型車の乗船が終わっていないよう。たまにギリギリにやってきた車が一瞬たりとも止まることなく船に入って行く。ついさっきまでとはうって変わって閑散とした駐車場の真ん中にポツンと車が一台。ほぼ入り口ゲートの横にもう一台。あの人たちは何をしているんだろう?何もしていない感じだけれど、車の調子が悪いのか?まさか船を間違えたわけではないだろうし。。。ゲート横の車は船に乗り込んだらしくいなくなった。でも、もう一台は依然として同じ場所にいる。船が動き出してもそのまま、、、

なんてことを看板から出航を待っていた人たちは思っていただろうなぁ。そう、この駐車場にポツンと残されていたのは私たちです。

さて、乗船できる時間になり、前の車がエンジンをかけて進みはじめ、さて私たちも、という段になって、車が動かなーーーーーーーい。どうやっても何をやってもエンジンがかからずどうにもならない。車のキーもおかしい。何度やってもウンともスンともいわない。私たちの後ろにいた人たちもどんどん抜いて行く。フェリーの担当者に言うと、誰かを呼んでくるとは言ったものの、その気配は全くなし。そのうち、乗用車の乗船は終わり、だだっ広い駐車場はガラガラになってました。その頃にはもうフェリーの人をあてにしてもしょうがないので、保険を通して救援依頼をしましたが、そう簡単にはやってこない。なにせすでに夜の8時。救援車が近くに何台もいるわけでもなく、他に故障車があれば、その順番待ち。そのうち私たちの目の前で扉が閉まり、フェリーは出航してしまいました。もうこの船に乗るのは無理だろうとは思っていたけれど、乗るはずだった船がゆっくり去って行くのを目の前で眺めるというのは、なかなかむなしい。

それからだだっ広い駐車場で1時間くらい待ったのだろうと思う。だんだん日が暮れて暗くなって行くし、修理屋は来ない。ギーちゃんは保険屋や車のサービス担当など電話をかけまくっているけれど、どうもラチがあかない。何しろ、あなたの名前は登録されてないようです、からはじまり、いや名前は見つかったけど、保険の期限が切れてるだの言われてどうしようもない。そのうち、携帯の充電も切れそう。船の中で充電できると思っていたし、日中、あちこち回りながらの1日だったので、携帯ナビを使っていたので(ウチのマツダ車のナビだと、たまに変なところに連れて行かれるので、田舎道みたいなところを通る時には携帯に限る)。そんな中で、とりあえず近くのホテルを確保したりしていると、港の警備の人がどうしたの?とやってきた。事情を説明すると、「全く!あのフェリー会社、バッテリーのブースターが壊れてるって言ったって、湾口事務所で借りて来れば済むものを。」とのこと。やっぱりうわさ通り、サービスなんてあったもんじゃないないのだ。あたりは真っ暗になり、このまま何時まで待たなくちゃいけないのだ、と思っていたころ、救援車がやってきた。不機嫌なおじさん、バッテリーをブーストしたらすぐにエンジンはかかった。でもダッシュボードは警告だらけ。それですぐに帰ろうとするのを止めて、もうちょっと見てよと粘ったけれど、その辺ちょっと走ってバッテリーを充電すれば大丈夫、と言ってそそくさと帰って行った。

それでちょっとぐるぐるし、でもまた街から離れて、こんな夜遅くにまた故障されても困るし、っていうのでホテル近くの屋根付き駐車場にとめて、ついさっき予約をしたホテルへチェックインしました。なんとか普通に一夜を過ごせるらしいということで、ホッとするも、この想定外の状況になんだか気持ちは沈みがちでした。

つづく

次は山へ Bocognano

コルシカ島南西の海岸沿いで過ごした後、山側にやって来ました。ここではボコニャノという小さい村の高台にある一軒家を借りています。2000m級の山が眼前に広がり、これまた自然に圧倒される景色。

到着したころから雨が降り出し、そのまま翌日までザーザー雨が続くという、全く想定外の天候。当然のことながら寒いので、暖房は欠かせない。こんなに南に来ているのに、天気予報を見るとベルサイユの方がずっと暖かいという、なんと理不尽な。

到着翌日の夕方やっと晴れた。標高700mくらいの村のさらに上にある家なので、多分750mくらい、雲と同じくらいの高さ。

家は、つい最近改装して貸家としてデビューしたようで、私たちはまだ3組目の客とのこと。こういう貸家にありがちな、色んなところから持って来た、要らなくなった家具や食器などが統一性なく並んでいるというのではなく(古いものをステキに揃えているというのとは違う)、全てこの家に用意されたもの、そして北欧の大型家具屋のロゴ入りのものだらけでないところもとてもいい。

山の上の傾斜地に建っていて、家には2階から入り、LDKがあり、1階に寝室2室と浴室がある。1階部分の半分は傾斜の中に埋まっているので、夏は涼しいだろうけれど、こんな時期は寒い。1階の石の色が違うところ、テラスの下は増築部分で、寝室のひとつ。

雨がたくさん降ったので、滝を流れる水もたっぷりで、この滝の名前「新婦のベール」がぴったりくる。途中コルシカ名物のぶたさんに遭遇。山の中で飼われていて、たまにこうして道路にまで出てくるのがいるよう。これまた名物の栗や、森のどんぐりを食べて育ち、島を代表する豚加工品になるのです。

スカンドラ自然保護区ボートツアー

高波のせいで2日もボートツアーがキャンセルされていたところ、3日目やっと海に出れることになりました。ただし、雨こそ降らなかったけれど、残念ながら青空の全く見えない曇り空。

色んな会社が、どれもこれもだいたい同じようなツアーを組んでいます。私たちはこの青いボートのツアーに参加。ボートが一番快適そうだったからですが、予約の対応などもとても手厚く、船のキャプテンも感じよく、説明もナイスでした。

想像もつかないくらい長い時間をかけて自然が作った奇岩の数々は圧巻でした。そんな中に、漁師用のほったて小屋数件が建つ小さな海岸。船長さん、あそこ、あの上にある小屋はうちのおじいさんの。と教えてくれました。ただの漁師用の小屋だし、なにしろアクセスが大変なので、売れないし、貸せないしで、そのままになってる。とのことでしたが、この日、カヤックで海に出ようとしている人が見えました。

これらの奇岩、ブルターニュのプルマナのと似たようなものですが、スケールが断然違います。

場所によっては、溶岩が岩を覆って、ガサガサした岩肌になっています。これは、「キスしている二人の横で、コルシカ島の歌を歌う人(コルシカ独特の民族音楽が有名)」だそうです。確かに、そう見える。

気温も低く、曇り空の中午前中いっぱい海上にいると、いくらフリースなどを着込んでいても寒い。ブルターニュかと思うほど。しまいには体は冷え切っていました。

車で行けない村 ジロラタ / Girolata

コルシカ島南西部、最初の宿泊先のあたり一帯はスカンドラ自然保護区と言われ、ユネスコの世界遺産にも登録されています。その中にジロラタという、船か徒歩でしか行けない小さな入り江の村があります。滞在先からぐるぐる道を車で20分ほど行ったところが徒歩で行く際の出発地点。ガイドでは片道1時間半となっている。それなら私なら2時間はかかるだろうけれど、村でご飯を食べてゆっくりしてエネルギーを再度蓄えれば帰りもなんとかなるかと思い、徒歩コースに挑戦することにしました。

確かに徒歩ならでは、素晴らしい景色が続きます。

入り江の村が見えて来た。白っぽい塔が建っているあたり。でもまだ先は長い。なにせ徒歩ですから。

そして入り江も見えた。

しかし、「これが道?」というような道、滑ったら真っ逆さまに海?というような岩山を通ったり(おそるおそる四つ這いで登った)して行くのです。それにしても、老いも若きも、ヨーロッパ人ってこんなところを歩くのが好きな人が多いです。みんなさっさと歩いて抜いて行きます。私なんか自分だけでももう大変なのに、徒歩で旅行しているらしき若い女の子が大きなリュックを背負ってこんな道をサクサク進んでいるのを見て、体力の違いをまざまざと見せつけられたのでした。

この道、「郵便屋さんの山道」というような名がついているのですが、まさにジロラタ村の郵便屋さんがかつて使っていた道なのだそうです。私たちは結局往路に3時間かかったけれど、この郵便屋さんは40分くらいでこの道を歩いていたそうです。(今では徒歩ではなく船で届けられています。)

そうこうしてなんとか歩いて村までたどり着きました。写真右側の山から降りて来て、海岸沿いを通って反対側にまわり、高台にあるレストランで一息ついているところです。この日は海は荒れていてボートツアーなどの船は沖に出られなかったため、ここにたどり着いている人はほぼ徒歩で来た人たち。まだ観光シーズンのピークでもないため、のんびりしていましたが、シーズン中は、こんな小さな村が、ボートでやって来る旅行客で溢れかえり、足の踏み場もないほどになるようです。

今日のおすすめ、コルシカ名物、仔牛肉のオリーブ煮込みを食べているところ。どこのレストランでも出している定番メニューです。3時間も歩いた後なので、ワインではなくビールを。

ご飯を食べたら、気を取り直してまた歩いて出発地点まで戻ります。復路は往路とは別の山側の道を通ることにしました。当然登りが多くて、10分くらい歩いたらもう嫌になったけれど、やめるわけにもいかず頑張って歩きましたが、帰りはかなり休み休み歩いたので、3時間半かかりました。普段運動しているわけでもなく、たくさん歩いているわけでもないのに、突然こんなに歩いたので、ものすごい筋肉痛が待っていました。

お久しぶりです。コルシカ島に来ています。

長いあいだ怠けていて、全くブログを書く気がせずほったらかしになっていましたが、元気にしています。

久しぶりの休暇で、コルシカ島に来ています。
私にとっては初めてのコルシカ島。フランスの南東、イタリアのピサあたりの向かい側に位置する地中海の島です(フランスです)。飛行機ならば1時間半くらいのはずだけれど、車で南フランスのトゥーロンまで行き、フェリーに乗って渡ることにしました。

こんな大きいフェリーとは。車が500台とか入るのだから大きいに決まっているのですが、全く想像ができていなかったのでびっくり。ビルの大型駐車場に入っていくようにして乗船。左と真ん中の写真は、1時間ほど早く出発した別の船です。

キャビンを予約していたのですが、いつから掃除してない?というくらい汚い。ベッドのシーツだけは変えてあったし、その辺の地べたで寝るよりいいのだけれど。あんまりよくも眠れず早朝たたき起こされ、そのくせ下船まで相当待たされ、やっと外に出て、早朝の町中を抜けて、太陽の元に出た時の開放感はこの上ないものでした。フェリー会社は、コルシカフェリーというイタリアの会社だったのですが、なんだかむちゃくちゃ、出発は1時間くらい遅れていたのに情報はなし。何時に着くので、何時までに何をどうしないといけない、などという案内もなし。帰りも同じフェリーで帰ると思うとちょっと憂鬱です。

この日は、コルシカ島の南西部のアジャクシオという町に到着して、あちこち見てまわりながらゆっくりと北上しました。

そしてポルトという町の近くにある宿泊先に向かいました。岩山が連なっていて、平地は見当たらず、起伏がかなり激しいです。クネクネ道が多く、高いところで絶壁だったりすると、かなりこわいのですが、そのぶん絶景が続きます。

夕方、これから5泊する家に到着。これまでホテルレストランだった建物を改装して、バカンス用の貸しアパートになっています。私たちが借りたのは、広めの1LDKというところで、4畳半くらいの海の見えるテラスつき。10分くらい坂を下ると小さい海岸に出るという、なかなか素敵なところです。海岸にレストランが2件、その途中に小さいホテルが2件ほどあるので、そこを行き来する車の音が聞こえる時もあるけれど、今の季節はひっきりなしということはなく、すごく静かで、鳥が鳴きまくっているのがうるさいほど。

緑に囲まれて自然の香りがいっぱいするテラスからの眺めは素晴らしい。こんないい天気が続いてくれると良かったのだけど、この後かなり天候が崩れてしまいました。

読書の秋 2022

もう読書の秋というより、冬になっています。本日パリ地方、朝も昼も夜も気温3度という予報です。

コロナが出てきた当初、海外からの小包なども滞っている、あるいは普通には届かない、というようなウワサがあり、ということは、本を気軽に日本から取り寄せることも当分むずかしくなるのか?と思い、本を読むのを控えていました。習慣とは恐ろしいもので、そのうち本を読まないのが普通になり、コロナ渦中の2年間、本を読んでいませんでした。

それで、日本に帰国した際には本を仕入れてくるのに、今回は何を買っていいかもわからず、自分では買わずじまい。何でもいいから要らない本があったらちょうだい、と私が言うのを覚えてくれていた友人が何冊か持たせてくれたのと、実家にあったもの数冊を持って帰っただけでした。

でもそれらがとても面白くて、またまた読書をする日々がやってきました。

ある夏の日に、近所の大型本屋で「東洋文学」コーナーを見ていると、中国の歴史物語を連想させる絵が表紙になった本が並んでいる。中国のものかと思えば、Jiro Asadaとなっている。浅田次郎さんの翻訳ものを目にしたのははじめて。小さな東洋文学コーナーには、中国、日本、韓国、そしてインドなんかのものまでが詰め込まれている。日本文学の半分ほどは村上春樹が占め、残りは川端、三島や漱石などの純文学に最近のものなど。浅田次郎さんは最近好きな作家なので、読むものがないーと言っていたギーちゃんにこれを買わせることにした。

読みはじめは、登場人物が多すぎる、中国名が覚えられない、誰が誰だかわからない、関係もわからない!と言っていたけれど、しばらくするとものがたりに引き込まれたようで、本に没頭している。私にも同じ本のオリジナル日本語版を買って一緒に読もうというので、買いましたよ。中国の歴史もの〜?とあまり乗り気ではなかったのですが、本が届いて読みはじめたらもう止まらなくなってしまいました。

たしかに登場人物が多い、皇室の家族構成(?)がややこしい、それぞれの名前もややこしい、名前のみならず他のことでも読めない漢字(ルビが中国語読みでふってある)がたくさん出て来るので、読みにくい部分もあるものの、それは物語の壮大さにかき消されてしまいます。そのうち、こんなにも中国の歴史を知らない自分にあきれるとともに、それでもそんなことがあったのだということを今少しでも知ったのはよかったのだ、と思うのでした。よその国の歴史とはいえ、近所の中国、おのずと日本との関わりも多いです。

「蒼穹の昴」 1−4巻 浅田次郎
フランス語訳は、この4巻分が一冊になったこれ。Le Roman de La Cite Interdite『紫禁城の物語』とでも訳しましょうか?もともとは前半と後半の二冊で出版されているものを一冊にまとめたバージョン。

そして、私は次のシリーズへ。残念ながら、ここからはフランス語訳版はまだ出ていません。いつか出版されるのを楽しみにしていますが、これを訳すのは大変だろうなぁと思います。

「中間の虹」1−4巻(アマゾンの小包に4巻が二冊入ってました)
「マンチュリアンリポート」1巻のみ

この辺りから、中国に上陸した日本人の描写も多くなってきます。祖父が勤めていた満鉄のことも出てくるので、遠いむかしの知らない土地のものがたりに、細いながらもつながりを感じ、身近にせまってきます。

先週末に、時代的には「蒼穹の昴」と「中間の虹」の間に読むべき「珍妃の井戸」を読み終え、あのラストエンペラーの時代に突入する「天子蒙塵」を読みはじめたところです。

つまり、ブログが滞っているのは、このせいなんです。

今年もブルターニュの夏休み 近場でサイクリングツアー パート1最終日のディナー

毎日自転車で40kmほどの距離を走りながら別の街に移動する、というサイクリング小旅行、それはそれで楽しいけれど、めんどくさいとも言える。それをおして3日間も自転車で移動できたのは、最終日は美味しいものを食べるというご褒美が待っていたからこそ。そもそもこのサイクリングツアー、このホテルを中心に計画したものでした。

ホテル内のレストランはミシュラン一つ星。この日はこのあたりにしては暑かったのもあってか、Tシャツに半パンなどの人もいて、全く気取っていない雰囲気。給仕の人たちもみんなブルターニュ名物のボーダーシャツ(カットソー?)着用。そういえば、ホテルの受付の人たちもみんなボーダーを着ていました。

ただの一つ星なので、すぐにテーブルに通されて、そこでメニューを決めます。3種類ほどコースがあって、せっかくだからとオマール海老のお皿のある一番いいコースを選択。ワインはペアリングにしてもらうことにする。みんなが一斉にやって来た感じで、全員に手が回らず、なんだかわさわさした感じ。しばらく待って、サービスのお兄さん(サービスの人はみんな若者)が木箱を持ってやって来た。そこには数種類のバターが入っていて、違いを説明してくれたあとで、お好きなのをどうぞというので、全種類いただきました。ホテル付属のパン屋のパンとともに色んなバターを味わいながら待ちます。バターはさすがにどれもこれも美味しくて、最初っからパンを食べすぎると後に差し支えるんだけどなぁ、と思いつつも、食べずにはおられませんでした。

下から、塩バター、アーモンドミルクで作ったバター(もどき)、海藻入りバター(割と流行りで、どこでもやってる感あり)、サリコーン入りバター(ブルターニュなど満干の差が激しい浜に生える草)、ブールノワゼット、焦がしバターを混ぜ込んだバター。

その後、ちまちましたおつまみの代わりに、こんなものが来た。そば粉のガレット(クレープ)の定番、ハムチーズ卵入りをRevisite, リビジテ、変形させたもの。そのまま食べるもよし、器の中で崩してスプーンで食べてもよし、お好きにどうぞとのこと。崩れそうなのを細心の注意を払いながら持ち上げて、パリパリさくっと一瞬で食べました。卵は感じなかったけれど、そば粉の生地にハムにチーズ、それぞれの味がしっかり再現されている。おいし〜い。もうひとつお願いしたいくらい。これでニコニコになって、最初のバタバタで大丈夫?と感じていたのは帳消しになりました。

その後、ブルターニュ産の鱒にオマール海老、ルージェ(ひめじ)。このマスはちょっぴり日本の塩じゃけっぽい。皮っぽいのは、本物の皮ではなく、海藻(訂正ー>海藻ではなくズッキーニを使ってあったもよう)を皮風にしてあった。
オマール海老は、もう火入れが完璧で、火は通っているけれど、通った瞬間で火入れを完全に止めた、というギリギリのところで、オマール海老の本来の味を堪能しました。さすがオマール海老の産地のシェフ。そして、ひめじ。これは小さい魚で、すぐに火が通るので、パサパサになりやすいのだけれど、これも完璧に調理してあった。やはりブルターニュ名物のアーティチョークと合わせてありました。

実はコースには、「本日のお肉料理」としか書いてなくて、なんのお肉かは明記してなかったし、最初の説明でも何なのか言ってくれなかったのですが、この日は実はハト。大嫌いで見るのも嫌なハト。まあ食べるとなると別なんですが、好き好んでは注文しない。まあしょうがない。最近、ハトを扱うシェフが多い。ハトという食材を扱うのには、ある程度の経験と技術が必要らしいので、それをアピールするためか?見かけはイマイチですが、これもまたオマール海老のように、火入れが完璧。生でもない、でも火がちゃんと入っている。ナイフを入れると、血はしたたたらずにさっと切れ、口当たりは柔らかいけれど歯ごたえもある。ジビエほど強烈ではないけれど、鶏肉のように淡白でもない、独特の味がある。ハトは過去に食べたことはあるけれど、印象に残っていない。もう少しソースがあるとさらに良かったけれど、美味しくいただきました。

ようやくデザート。フランボワーズとミント、いやミントのジュレにフランボワーズが添えてあると言った方がいいか。酸っぱくて、甘さは控えめすぎて、さっぱりはするけれど、最後の締めにはちょっと物足りないかな、と思っていたら、2つ目のデザートがやって来た。フランボワーズは口直し的なデザートだったらしい。

最後の締めは、このコースにふさわしいもの。ブルターニュと言えば、塩バターキャラメル。そのデザートクレープをまたしても再構築したもの。形はブルターニュ名物のクレープダンテルというお菓子を真似たもの。見栄えはしないけれど、これがまたもう美味しくて、もう一つ(いや二つ)お願いしたいくらいでした。というわけで、ブルターニュ名物をしっかり前に出して、最初と最後に定番料理を再構築して持ってくる、とってもよく考えらた、楽しいメニューで、大満足でした。

ちなみに、これがクレープダンテル。箱入りで、普通のスーパーで買えます。2個1組で銀紙(金色だけども)に包まれ、カフェなどでたまにコーヒのお供について来たり、アイスクリームにささっていたりします。これをバラバラに壊してチョコレートやプラリネと混ぜてお菓子の一部に使われたりもします。

右の写真は、ホテルに飾ってあった、1961年当時の夜のメニュー。ポタージュ、エビやカニなどの甲殻類をマヨネーズで、舌平目オランデーズソース、羊のもも肉ロースト(海辺で放牧され自然に塩味のするひつじ)インゲン豆煮、デザート、カフェ。時代を感じるラインナップ、今やこんなメニューを出すところは皆無だろう。

去年の二つ星よりもずっと満足した食事だったのですが、減点部分がないわけではなくて、それはワインでした。妙に自信たっぷりの若いソムリエ。ペアリングについて聞いた時、ものすごい種類のワインがあるので、皆さんの好みに合わせますよ、とのことだったので、それなら、コート・デュ・ローヌは避けてね、と言ったにもかかわらず、コート・デュ・ローヌの代表的白ワイン、コンドリューがやって来た。確かに有名なワインで、美味しいのを飲んだこともあるけれど、違うのがよかったわけです。それでも、これは本当に美味しいから、ちょっと飲んでみる?それで嫌だったら別なのに変えますよ、とでも言ってくれれば、味見をしただろうし、気に入ればそのまま受け入れたのだろうけれど、そういう申し出もなかったので、変えてもらったら、村名も地方の名前さえもないワイン(つまり表記はフランスワイン)がやって来た。釣り合い的にどうなの?と、なんとなく損した気分。たぶん私たちのためだけに一本いいワインを開けたくなかったんだろうけれど、その辺、ちょっとサービス精神に欠けているというか「ケチ」って思いました。

今年もブルターニュの夏休み 近場でサイクリングツアー パート1の3日目

今回泊まった部屋のドアを開けるとすぐダイニングで、宿泊客はそこで朝食をとることになっている。すぐドアの向こうにも関わらず、全く気配が聞こえなかったけれど、すでに2組の宿泊客が朝食中。やはり普通の家とは違うつくりにしてあるらしい。どれもこだわりの材料で用意されているのがわかる朝食内容。パンケーキなんかも焼いてくれて、なかなか良かった。そして、荷物をパンパンに詰めてまた自転車に乗ります。

この街、ロスコフを出てさらに西に進んでいくうちに、だんだんいつもの見慣れた景色とは少し違った感じになってきます。大きめの砂浜がある海岸。お天気も上々で、この日はほぼ海岸線を走りました。

この日は、車を置かせてもらったホテルに泊まって、そこのレストランで夕食の予定だったので、お昼は軽いものにしたかったのだけど、気軽でよさげなところは全く見つからず。パン屋さえも見当たらない。結局、海辺のベンチで持参していたアーモンドローストを食べ、どうでもいいようなピザ&クレープ屋で、何も食べずにビールを飲んだだけでした。

誰かが何かを掘っていると、何がとれるんだろうと興味津々。でも、見に行ったところで、貝掘りをするわけにもいかないので、見過ごすことにする。

夕方になるにつれ、さらにいい天気になり、ホテルに着くと、前々日の出発前に見た景色とは似てもにつかず。宿泊前に車を置かせてもらう件でやりとりがあったからか、お部屋をアップグレードしてもらいました。部屋のベランダから見えた景色。

ホテルのプールに行ってすぐに戻ってきて(プールは小さすぎてゆっくりする感じではなかった)、シャツにアイロンかけしたり(アイロンは安物だった)、ぼんやりしているうちにレストランの予約の時間の7時45分。ささっと降りて、楽しみにしていたディナータイムとなりました。つづきは次回。

今年もブルターニュの夏休み 近場でサイクリングツアー パート1の2日目

2日目もあまり期待できそうにない天気予報。せめてザーザー雨でなければいいか、と曇り空の中出発しました。が、たまに青空も見える。たまに太陽も出ている。とりあえず雨はまだ降っていない。暑くもないし、寒くもない。出発して間もなく、海も見えて来た。なかなかいい感じ、でスタートした2日目。この辺りは、ブルターニュの家族が住むコートダルモール県との県境で、海岸線はなんだか似たような感じ。

雨も降っていないし、目的地に急いで行かなくちゃならないわけでもないので、こうした海岸があると、ふらりと立ち寄り、写真を撮ったり、魚釣りに行くおじさん、獲物を抱えて帰ってくる人なんかをぼんやり見る。

8月の中旬をすぎ、ピークは終わっていたけれど、それでも一応まだ夏休み中、子供達のアクティビティなどで少し賑わっていました。バイトにちがいない若い大学生くらいの女の子がちびっこを連れて、水たまりの中にいる生き物を探し中。また、海では小さいウィンドサーフィンがぞろぞろ。

この日、お昼は海辺でムール貝が食べたいと思い、この日の道程を半分くらい行ったところで2件ほどレストランをチェックしていたのですが、お昼少し前に電話しても出ない。まあいいかと現地に到着して見ると、どちらのレストランもお休み。え?いくら平日っていっても、この夏休みの稼ぎどきに休みとは。もうずいぶん前からムール貝が食べたいと言っているんだけれど、どうもありつけないらしい。

気を取り直して、この辺ではまあまあ大きいSaint Paul de Leon(サンポールドレオン)という町に引き返すと、マルシェの日で、それがちょうど終わった時間で中心部はごった返し。なんとかそのぐちゃぐちゃの中をすり抜けて、小さな路地にクレープ屋を発見。すでに1時はすぎていたので、もうあれこれ言ってはいられない。ちょうど外の席が空いたところだったので、すかさず食事ができるかと聞くと、大丈夫とのこと。やったー!というわけで、とりあえずビールを注文、食事のクレープとデザートクレープでお昼にありつけたのでした。

左は私が食べたクレープ。イカスミパスタにイカ、ではありません。この濃い緑のものは、海のインゲン豆というような名前のついた海藻です。でも、海藻っぽい味はそれほどせず、まるでパスタのような食感なので、パスタだと言われれば、そのつもりで食べたかもしれません。これってダイエットにとってもいいのではないかと思いました。右の写真は、その路地の道端でご飯を食べて、さあ目的地に向かって再度出発、というところです。

そして、またずっと海辺を通って、たまにちょっと怖い車道も通りつつ、2日目の目的地、Roscoff(ロスコフ)に着きました。海辺の観光地だけあって、観光客多数。

海辺沿のホテルしようかと思いつつ、これといったところがなく、少し町の中に入ったあたり(と言っても海辺、町の中心から徒歩10分ほど)今年5月にオープンしたばかりのB&B(フランス風にいうと、シャンブルドット、日本風に言うと民宿)を宿泊先に選びました。もともとこの町の町長さんが住んでいたらしいお屋敷を買い取って改装したらしいです。オーナーさん、たぶん30歳そこそこくらいの若いご夫婦でちょっとびっくり。もちろん新しいからきれいだし、使ってある素材なんかも厳選されていてステキではあるのですが、部屋自体が狭くて、それだけが難点でした。ふつうB&Bというと、ホテルより断然部屋が広くてゆったりしているのですけどね。それでも庭付きの大きな一軒家、自転車も車庫に入れてくださって安心でした。

夜は、オーナーさんが予約しておいてくれたお魚中心のレストランへ。遅い時間の予約しかできなくて、それまでの時間が長かったこと。観光地なのでちょっとした商店街があったりはするものの、15分もあれば町の中心をぐるりとできるくらいなので、3周くらいしても1時間も経っていない感じ。どこかで食前酒でも飲んで、と思うも、観光客であふれているか、ちょっと外れたところは閉まっているところも多く、結局行き先が決まらないまま手持ち無沙汰で海沿いをぶらぶら、そしてベンチに座って待つ。この日は暖かくて、夕方から夜にかけて外にいても我慢できるくらいだったけれど、さすがに日が暮れてくると寒い。そのうち、ベンチに座っているのも限界になってきたので、ちょっと早い(予約の40分くらい前)けれどダメモトでレストランへ行ってみると、5分くらい室内で待ってテーブルを用意してもらえました。

食事は悪くはなかったんですが、サービスの若いお兄さんが運び屋にしかすぎず、本日のおすすめの付け合わせの野菜はなに?という質問に、満足に答えられない。本日のおすすめなんて、一番注文の多いお皿で、もう何皿も運んでいったに違いないのに、それ全然見てないのかね?わからないなら他のスタッフに聞いてみればいいのに、その気も全くなしで(まあみんなすごく忙しそうではあったけれど)、適当に答えてごまかそうとする、全然ダメダメでした。それでもギーちゃんが注文した本日のおすすめ。野菜がたっぷりで、これをどう表現するのかがわからなかったのかもしれない。

今年もブルターニュの夏休み 近場でサイクリングツアー パート1の1日目

今年は日本にも帰国したし、夏休みは安上がりモードにしようと、行き先はいつものようにブルターニュの家ということにした。でも、いつもいつもいつもブルターニュって、代わり映えしないので、この夏休みは、ちょっと違うことをしようと、近場で自転車の旅をすることになりました。

かつて、スイスで自転車旅行をして楽しかったので、またそういうのをやろうと言いつつ、そのまま10年ほどが過ぎておりました。スイスでは、専門の旅行会社を通してのツアーで(と言ってもすべて個人で移動)、道程は決まっていて、それに合わせたホテルの予約、旅行中、荷物を次のホテルまで運んでくれるなどのサービスがついたものでしたが、今回はすべて自分たちでやることにしました。

近場ということで、お隣のフィニステール県、ブルターニュの家族の家から、車で1時間ほど西へ行ったあたり。気になっていたひとつ星レストランのあるホテルを中心に3泊4日の旅を計画。毎日の目的地となる町と、そこでの宿泊先は私が決め、細かいサイクリングコースは、ギーちゃんが一生懸命調べて作り、自転車用のナビに入力していました。出発地点は、最終日に宿泊するホテル。宿泊の2日前から駐車場に車を置きっぱなしにさせてもらってもいいかとお願いしたところ、快諾してもらいました。

写真左 ホテルの駐車場で準備中。自転車の荷台には2泊分の荷物がぎゅうぎゅうに入っている。
写真右 高台にあるホテルから本来なら海が望めるはず、がこの日は靄で見えず。

ホテルが経営しているパン屋さんが近くにあり、そこでパンを調達して(これがとても美味しいパン)、11時すぎに出発。ただ、しばらく行ったところで、車に忘れ物をしたというので引き返し、再度出発した時には、12時を知らせる教会の鐘がなっていました。

これが自転車で走ったコース全体図。1日目は、最終目的地であり出発地のPlouiderという町からTauleというところまで。地図では直線になっているけど、もちろん直線ではなく、ぐるぐると小さな道を選んでは進んでいたと思います。

ちなみに、ピンクの星のあたりです。

夏とはいえ、天候の安定しないブルターニュ地方でこういうことをするのは、ちょっぴり賭けだったのですが、予想通り1日目は曇りと雨に見舞われ、ほとんど何も見えない、見る気もしない、見ても畑だらけの道程、お店もカフェも何にもないところばかりを通り、人もほとんど見かけない。お昼も小雨の中、木の陰で持参した残り物と朝買っておいたパンで簡単に済ませるという始末。寄り道する気にも、写真を撮る気にもならず、もくもくと目的地に向かって走ったので、3時くらいには1泊目のホテルのある村に着いてしまいました。そこで、唯一開いていたバー(雑誌やタバコや宝くじなんかを売っているなんでも屋のこと)のテラスで飲んだビールは美味しかった。小雨が降っていても、寒くはなく、風もなく、こうして外のテラスに座っていられるというのはブルターニュにしては上等でした。

フランスブルターニュの田舎の小さな町の典型で、このバーの隣には、町の大きさにそぐわないほどの大きな教会があり、この時は、ちょうどお葬式が行われていました。ビールを飲み終えて、そこからちょっと離れたところにあるその日の宿泊先のホテルに行くと、チェックインは5時だと言われ追い出されました。どうも、ホテルのレストランで午後のお茶的なものが準備されているようで、忙しかったようです。どこかの老人クラブかなんかの集まりでもあるのかと思いきや、同じバーに戻って時間をつぶして、5時になって再びホテルに戻ると、多くの人が集まってお茶中で、それを見てピンと来ました。あれは、例のお葬式の後の集まりだったのでした。所変わればで、テーブルに並んでいたのは、オレンジジュースにコーヒーカップ、クロワッサンにパンオショコラで、まるで子供の午後のおやつ。でもフランスで午後のお茶となれば、こんな風になるしかないんだろうな。私としては、お葬式のイメージとは結びつかないのでした。

そんなことを思いながら、部屋に入りシャワーを浴びてさっぱりした後は、雨でかなり湿っていた服などをドライヤーで乾かしまくりました。強力なドライヤーがあったのはラッキー。その日の夜はホテルのレストランで食べることにしていたので(その頃には、お葬式のお茶会はすっかり跡形もなく片付けられていました)、そのままどこにも出かけることなく、ご飯を食べておやすみなさい、でした。